ピクサー20周年記念作品。話題作なので宣伝も力が入っています(変な方向に)。日本版ではドリカムの歌とともに一般から募集した写真が映画の冒頭に流れるというプロモーションが話題を呼びました(いろんな意味で)。
宣伝にうるさいことで有名な日本の映画ファンからは「他人の写真を何分か見せられるのに耐えなければならないのか」「なぜエンディングではなく冒頭なのか」と多くの意見が飛び交っています。
正直私も初め見たときは
「何だこのパワポの最新機能をふんだんにつかったスライドショーみたいなのは??????」
とその映像のショボさに混乱し、気が付けばクスクス笑っているというよくわからない感情に襲われました。
私はこの企画映像をエンディングではなくオープニングに持って来ようと提案した人に感謝の気持ちを込めてレッドブル1ケースを送りたいと思う!!!!
だって凄く心に響いた映画を観た後に良くわからん他人のパワポスライドショーを見せられる、そんな拷問耐えられないよ!!!!
さて、映画の内容についての感想ですが私が語りたいアメリカンあるあるやメンタルの話が多いのでそれは別記事にして今回はざっくりとした感想を。
まずはじめに映画を観て思ったことそれは「いろいろとエグイ・・・心にグサリと突き刺さるメッセージを込めている」と。
まず、これは11歳の少女ライリーの頭の中の話。そう、11歳の少女の話なんです。アメリカでは子どもと大人の境目は13歳と言われています(まぁ二十歳超えればどちらもガキですが)。
また、12歳まではトゥイーン(tween)と呼ばれ、13歳からティーンエイジャーとなります。
その複雑な年代をライリーは引っ越しというライフイベントから気づくのです。ヨロコビとカナシミが消える前のライリーは明るく元気な子でありますが、同時に「空気を読んでしまう子」であるのです。
例えば、引っ越した先がボロ家だったことに不満を言わずホッケーごっこをして両親を楽しませたり、父親の急な仕事にイライラしている母親にピザ屋に行かないかと勧めてみたり。
「聞き分けのいい手のかからない子」と言えますが、同時に「感情を押し殺している子」とも言えます。
実際ライリーの脳内でもライリーを悲しませないようにとカナシミに記憶や感情の操作のさせないようヨロコビが奮闘します。
その結果ヨロコビとカナシミが居なくなってしまい、司令部にはムカムカとビビりとイカリの3人だけでライリーの感情を司ることになります。
ムカムカとビビリとイカリの3人は別にライリーを怒らせたり怖がらせたい訳ではありません。全て生きるために必要で意味のある感情です。3人はヨロコビがいない間もライリーが幸せになれるように頑張っているのですが、結果ライリーはそっけない態度をとったり怒って出て行ってしまったりするのです。
ざっくり結末を言ってしまうとライリーは成長するのですが、「親にそっけない態度をとる」というのは成長する上では当たり前のこと。特に女の子は成長が速いから11歳からそんな態度をとっていても普通のこと(女子だけが体育館に集められるのもちょうどライリーくらいの年頃だしね☆)
ですが親にとってみてはどうでしょう「昨日まで聞き分けのいい子どもだった自分の娘が急にそっけない態度をとった」事は大事件なのではないでしょうか。
私が感じ取ったこの映画のメッセージとは
「子どもがヨロコビ以外の感情を見せていることは悪いことではない。それらの感情を押し殺すことの方が問題である。」
なぜ悪いことではいのか、なぜ問題なのかは映画を観てから感じとってください。そしてこの映画の原題はInside Out(中のものを外に出す)頭の中の感情が外に露見するという意味でもあり、「感情の表出」の意味でもあるダブルミーニングなタイトルなのです(最近のディズニーによくあるやつだね☆)
この映画、「子どもに見せたい映画です♡」みたいなコメント寄せてるママさん()や評論家()がいますが、私にとっては子どもには見せたくない映画だなと思いました。
感情というものは自由なものであってこれが良いからといって変にコントロールするものではないということをこの映画から感じとりました。リアルライリー年代の子たちには自由にヨロコビやカナシミ達を脳内で遊ばせてほしいと思います。
そしてリアルライリー年代の子を持つ親にこの映画を観てもらい、「あたなの子どもが悲しんだり怒ったりしても、それは普通の事、ヨロコビ以外の感情たちもその子の幸せのために頑張っているんだよ」という事をわかってもらいたい。
約2時間の映画内では引っ越ししてから数日間カナシミを押し殺していたライリーですが、実際の子どもたちが13歳になるまでの2年間を考えるとどれだけの期間カナシミを押し殺す事になるだろうか、そしてヨロコビ以外の感情の大切さに気づくまでどれだけの時間がかかるだろうか。
そんな複雑なトゥイーン時代を理解して欲しい。そのためにこの映画があるのではないかと思える程グサグサと心に刺さる映画でした。
だから私は「子どもに見せたい映画です♡」とか言ってる奴にちゃんと映画を観ていたのかと問い詰め瞼引っ張ってもう一度観せてやりたい。
子どもにいつまでも「子ども」を求めてはいけない。そして成長をコントロールすることはできない。成長する事は大人にとっても本人にとっても複雑で大事件である。そんなことを気づかせ、子どもの終わりの難しい感情を思い出させてくれた切ない映画でした。
でもギャグの質が良いからただ切ないだけにならないのがニクイぜ☆
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